昨日の人
二日酔い特有の気持ち悪さで目をさます。
ベランダからは、毎朝の悪客である鳩のやかましい鳴き声と、あの忌々しい羽音がし、その負の混合物で部屋が蹂躙されている様な気さえしてくる。
いつもであればこの悪客に対し、何らかの対抗措置を取るのであるが、今日はそんな事すらも億劫である。
気持ち悪さは持続魔法でも掛けられたかのようで、のそりと起き上がり冷蔵庫のトマトジュースを飲む。
「♪♪♪♪…」
枕の下からくぐもったスマホの着信音が聞こえ、
「酔いは大丈夫か?昨日お前、凄かったな。まさかあんなことするとは」
スマホの画面には、見覚えのない名前が表示されており、勿論聞こえてくる声も聞き覚えが無い。気味の悪さしかないが対応する。
「どんな感じだったんですか?」
若い男の声は続く。
「流堀町の〝だるま〟ていう居酒屋で終電無くなるまで呑んだの憶えてない?」
「すみません。全く憶えてないんです」
「じゃ。その後、2軒梯子したことも?」
「すみません。それも…」
「そっか… それにしても昨日は凄かったな。」
またそれだ。
「どう凄かったんですか?」
男は薄ら笑いを堪えながら、
「どうって。まるでヴァルキューレの如き速さで、店中の酒瓶を空にしちまったんだからな」
なんだ、そんな事か。それよりこの男は一体何者なのだ?
「すみません。さぞやご迷惑お掛けしたのでしょうね」
「ああ。そんな事、気にするなよ」
明朗な声が返ってくる。
「ところで、私のスマホにあなたの名前が登録されているのですが、いつ連絡先交換したのですか?」
「いつって。だるまで呑んでた時、話が弾んで、そん時だよ」
男の返答は流れる川の様に、一点の曇りが無い。
「そう何ですか。」
全く思い出せず、それに二日酔いが混ざりあって酷く気持ち悪い。
「そんな事より、また呑みに行こうや」
「そうですね」
全体的に薄気味悪さしかないが、社交辞令として合わせておく。
「それじゃ早く醒ましとけよ」
男との通話はそこで終わった。
そこで私の気力も限界に達し、微睡の中へ引きずり込まれた。
「ピンポーン」
玄関のチャイムが鳴った音で、目が醒める。
吐き気を催しトイレのドアを開ける。そこには、腹部を滅多刺しにされ、血塗れで俯いている男だった物が便座と壁の間で挟まっていた。
「木村さーん」
男の声が響く。
「木村さーん。居ませんか?大島署の者です。御同行頂けませんか」
急いで部屋に戻り、スマホを確認してみるがさっきの着信履歴が見当たらない。そして、冷蔵庫の前には、禍々と紅く染まった包丁が横たわっていた。