続、三枝千佳月が死んだ
僕は今日もまた、千佳月の病室に居る。
もう学校では授業は終わっており、夏期講習とか言われる、高校生達の武者修行が連日校舎のあちらこちらで行われている。
勿論僕は、そんなものに興味と忍耐力を有しておらず。学校には行かず、近所の本屋で最近出た文庫本を買い、CDショップへ行き千佳月から頼まれていた、モーツァルトがフリーメーソンのために書いた曲集を買いに走らされていた。
それらを買い終わり今、僕は集中管理型の融通が利かない冷房が稼動している、白くて清潔管溢れるベッドが目立つ部屋に居る。
彼女は僕が買ってきた文庫本を、物欲しそうに見つめながら、淡々と言う。
「そと暑かった?あとモーツァルトのCDみつかった?」
「外は熱射とヒートアイランド現象のダブルアタックで死にそうだったよ。あとCDだけどなんであんなどこにもなさそうなものリクエストしたのかな…これって嫌がらせ♪」
彼女はまたまた淡白に答えてくれた。
「だって欲しいんだもん」
ハハさいですか。しかし、その要望を満たすため、この灼熱の夏の街へ5軒もCD屋を廻されるこっちの身になって欲しいものだ。あと、ありがとうぐらい欲しいな。それとも何か?
これは昔読んだ本にかいてあった、一体さんの戒めみたいに、
〝自分が人に何か親切なことをして、そこで相手が感謝の気持ちを現さないことがあっても、それで相手を責めてはいけません。何かしたからといって、相手に何かしてもらおうという気持ちはとても浅ましいものです。〟
それを千佳月は僕に教えようとしてくれているのか。なんて宗教的良い奴なんだ!彼女はマリアさまなのか… …なことは絶対ない、千佳月ともうかれこれ12年は一緒にいるけど、こいつはそんなことをやってくれる奴では断じてない。
独りでそんなことを考えていたら、彼女が僕が買ってきた文庫本に向かって。
「これ読み終わったら、僕に貸して。できれば今から読みたいな…」
彼女のその問いかけに僕はいつもの調子で答えてあげた。
「これからこの本で読書感想文を書かなくてはいけないので、その要望にはお応えかねます」
勿論嘘だけどね♪
彼女は僕をじっと見つめ。なんだか幼少の頃、彼女と初めて会った時のことがデジャヴとして甦る。
たしかあの時も今日と同じように暑い日だった。ついでにいうなら、時間帯も同じ蝉の鳴き声五月蝿い昼下がりだったように記憶している。
またそんな回想していると、彼女もまた、
「僕が君に逢ったのも、今日みたいな日だったね」
「そうだね」
「その時たしか、僕は君の家でカルピスを飲んだんだよね」
「そうだね。千佳月がカルピス出さないと暴れるぞ。と言ったからしょうがなく僕が出したんだよね」
「そうだっけ?」
「そうだよ。おおよそ合ってるはず」
そう言う僕を見て、彼女は少し悲哀を秘めた表情をして、綺麗に透き通った聖女のような声で呟いた。
「その時といま、全く逆だね。僕が君に会いに行ってたのに、今では君が僕にあいに来る…」
なんだか、また返答に困る状況が出来上がってしまいそうなので、僕は猛スピードでベターな回答を頭の中の選択肢から選んでいた。
〝あの頃も今も、僕は千佳月のことが大好きだよ〟
〝そうだね。あの頃の僕は体弱かったからね〟
〝君はあの頃の儘成長した気がするね、勿論良い意味だけどね〟
〝大橋某もう芸能界にいないよね〟
〝早く元気になって、どこか遊びにいきたいね〟
〝蝉は今も昔も五月蝿い存在だよな、どうにかならないものか?〟
以上の6つが今の僕に回答できるベターな選択肢だ。
先ず1番目を選ぶと… 3番目も… 6番目がベターなのかもしれない。いやそうで間違いない、これだ。
「蝉は今も昔も五月蝿い存在だよね、どうにかならないものかね?」
「そうだね」
よし。なんだか上手くいったかもしれない。
しかし、彼女は何か言いたげな表情をしている。
その時丁度僕の携帯電話が鳴った。
上手く静寂を切り裂いてくれたようだ。ありがとう携帯。
彼女に携帯に出ても良いか尋ね。良いらしいので携帯を取った。
携帯のディスプレイには、家からと表示されている。
窓の外ではまた、三毛猫の幻覚が映し出されている。
本当に幻覚なのだろうか?
何か僕に訴えかけている存在とかではないのだろうか?
謎々なぞ、なぞだらけ、そして外は今年も熱波で一日が長く感じられる。
通話をするため病室を出る。
雪華石膏色一色の壁に濃い緑の手すりしか無い殺風景で清潔感あり溢れる廊下を抜け、休憩室と呼ばれるところへ入った。
そこでやっと通話を始めた。
通話内容は、帰りにスーパーで今日の料理の食材を買ってきて頂戴というのと、何時に帰るのかという母親心満載連絡だった。
通話を終えると携帯を閉じて、ジーパンの後ろポケットへねじ込む。
千佳月が待っているはずの病室へ急ぐ。
病室の前まで来ると、ゆっくりとドアを横に流し入室する。
室内では少し眠たそうな貌をした千佳月がこちらを見て、それまた眠たそうな声を発する。
「何か用事でも出来たのかい?」
「スペクトル地球警備隊からの要請で至急イ○ンに出撃しないといけなくなったんだ」
勿論嘘だ。 でも、その嘘を訳すと次のようになる。
スペクトル地球警備隊とは、母であり。イ○ンとは近所の大きなスーパーのことである。
千佳月にはこのB級特撮映画のとっておき冗句が通じなかったのか、僕を訝しげに見る。千佳月さん僕をそんな顔して見られても、何もでませんよ。
「……君は君で何やら忙しそうだね」
「ああこう見えて結構忙しい身なんだよ。スーパーで食材買わないといけないし、家に帰ったら毎度不機嫌な飼い猫と戯れないといけないしね。色々と」
言ってるそばから千佳月は文庫本を読み始めた。
ちなみに今、千佳月が読んでいるのは、たしか僕が今日彼女から言い渡されたお使いのついでに買ってきた、大藪夏彦のハードボイルド小説だ。彼女はこの手の物は余り興味無かったはずだが…嗜好が変わりでもしたのかな?
僕は暇になってきたので、病室の奥にある大きなガラス窓まで歩き、そこから目下の景色を堪能した。
窓の外に広がる世界は、昔と比べだいぶ変わっている。
以前この病院の近くにあった山々は、山肌とそれを守っていた木々を削られ代わりに山としてちっとも有り難くない人間達の住処を植えつけられている。
そして、その人間達の住処が集合化され、その近隣には大手スーパーが出資して造られた郊外型ショッピングモールなるものが忌忌しく睨みを利かせている。
そういえば最近この近所でカラス以外の野生の鳥を見ないな。
鳥を探すついでに夏の気狂いみたいに青く高い空と、そのお供の千種様々な雲を眺める。
雲の流れは気だるく、のんびりとしたこころ持ちで空海を洋行している。
来世がもしあるのなら僕は雲だけにはなりたくないな。
そうやってのんびりと午後の昼下がりを満喫していると、千佳月が話し掛けてきた。
「この小説気色悪いね。あと退屈だね」
まだ僕が読んでもない本の感想を千佳月は早くも言ってくれた。それと退屈なのはしょうがないと思うけど、何か楽しいことを話そうと思ってもここのところほぼ毎日ここに来ているのでネタ切れだ。
「退屈なのは仕方ないね。なんなら家からテレビゲームでも持って来ようか?」
千佳月は数秒考え結局いつも通りの回答をやっぱりした。
「ゲームは興味ないからパスだね」
それに僕もいつものと同じ返答をする。
「そっか」
その後30分ほど千佳月に、家に最近住み着いている猫のことを話し、病室をあとにした