三枝千佳月が死んだ その4
ここから見える風景は結構好き。
小さい頃、××と一緒によく遊んでいた公園がここからだと直ぐ下に見える。
あの頃は楽しかったな
いつもお転婆な私を××が
「千佳月~。危ないからよそうよ」
とか言ってたっけ。
あの頃の××は、とても可愛らしかったな。一度寝ている××の頬っぺたにキスをしたことがあったけど、彼は憶えているのかね?
少し恥ずかしいことを不覚にも思い出したので、頬がなんだか熱い。その熱さを冷ましてくれるように、頬に冷たい水が滴る。最初は自分でも何が起きたのか理解出来なかったけど、どうやら瞼から涙が零れてきたらしかった。
「なんで…僕…泣いているんだろぅ…」
涙と嗚咽の二重攻撃によって、言葉がうまく出て来ない。
空模様も、だんだん怪しくなってきて、雨雲が氾濫し始めた。
夏というのにどこか肌寒い。
雨も降り出しそうなので、病室へ戻ろうと屋上から院内へと続く階段に向かっていく。
すると、突如雨雲と雨雲の切れ間から、猫らしき物体がふわりふわりと空を泳いでいるのが見えた。とても気持ちが良さそうだな。
少しの間、その猫を眺めておくことにしよう。
〝ふわっ、ふわっ、ふわり、ふわり〟
楽しそうに猫は空を泳ぎ続けている。そういえば以前××も〝猫が泳いでいた〟とか言ってたっけ。
本当に居たんだ。そんな猫。
また彼の妄想かと思ったけど、そうじゃ無かったみたいだね。
でもそろそろ、寒さに負けそうだし、お腹も空いてきたことだし、部屋へ戻ろう。
部屋へ戻ると何故か××が、ベッドの下から簡易椅子を出してきて、それに座って本を読んでいた。
僕が彼に冷めた口調で口撃をする
「どうして君が、この時間此処に居るのかね?」
すると彼が。
「千佳月さー。さっき猫が空を泳いでいたんだよ。もう僕。頭おかしいのかな」
「きっとそうだと思うよ。だって君って昔から幻想物語大好きだったでしょ」
「好きだったね。北欧神話は何度も読んだね」
「でしょ。だからだよ、そんなものばっかり読んでいたから、変な脳内補完しちゃうんだよ」
僕がそういうと、彼は本をたたみ。
「千佳月も、色々本読んでいるけど妄想とか空想しないの?」
僕は少し天井を見上げ、考えている動作をしながら答えた。
「することもあるけど、君みたいに〝空を泳ぐ猫を見た〟という妄想はどんなに頭を捻っても出てこないよ。もうそれ病気だよ」
彼は少し凹んだのか返答なさない。
返答を待つのが億劫だったので、僕はベッドの中へ潜り込み座ったままで棚から文庫本を出そうとする。けれど毎度のことながら、あとちょっとのところで手が届かない。
それを見た彼が、本棚から途中に栞が挟まっている文庫をとってくれ僕に渡した。
「病気か。千佳月の病気もなかなか治らないよな。まぁもっとも僕は君の嫌そうな顔を見るためにこれから先もここへ来るよ」
微笑みながら気障ったらしいことを言う彼に僕は。
「君も暇だね。こんな所へ来るより早く彼女でもつくりなよ」
と応酬する。
すると。
「千佳月がここに居るのに、彼女なんて作れないよ」
嫌みったらしく嗤いながら××はそう言う。
ちょっと待って。どういう意味なんだろ??
私の考える隙を与えず、彼の言葉は続く。
「千佳月はなかなか鈍感だから気づいてないかも知れないけど、僕は君にあったあの日から君のことが愛おしくて堪らないんだ」
××の目はいつになく真剣だね。口調も強いし。
尚も彼の言葉は続いた。
「卑怯だと思われるかもしれないけど言わせてもらうよ。僕は千佳月が好きなんだ」
××の顔が紅潮する。
久方ぶりに見る彼の真っ赤な表情に、少し愛おしさを覚える。
私が彼の茹でた蛸みたいな顔を無言で見つめていると。
彼が泣きながら私の胸に顔を埋め、嗚咽混じりの声で喚き出した。
××よ。
格好悪いよ。
「千っ…佳ぅ…月ぃ…。 僕の…前ぇから絶対消えるなよ。お願いだからさ」
「それって結構無理なお願いだね」
言いながら、××の頭を撫でる。
しばらくそうしていると××は寝息をたて始めた。
僕もその寝息につられ、眠くなってきた。
薄らいでいく意識の中で僕は「そういえば昔もこんなことあったね」と独り言を呟いた。