―御鱈河岸―

おんたらかし

デパートメント

枯葉の上を歩く、何億もの微生物を踏みつけながら理由もなく歩く。

途轍も無く長く思える遊歩道の上を滑るように流れる私の目には、男が二人と女が一人老人と老婆と男の子の生きている形を追う事だけで、この場所の在り方というものを理解出来ているものとして動き始める。

一人一人を値踏みするように、老人と老婆と男の子の事を眼で追っている。

老人と老婆と男の子、老人二人と男の子。

男の子もやがて老人になるのだろう、その頃老人二人は何になっているのだろうか。

男の子が老人にならないもしもと、老人が老人でありつづけるもしもの違いとは何なのだろう?

それは違うものなのだろうか?

老人はいつから老人なのだろうか?

老人として生まれてきたのではないのか?

そして、老人として在り続ける事が出来るのではないだろうか。

老人になるであろう男の子と、老人である老人が二人。

果たして何が違うのであろうか。

私は老人の側にいるのか、男の子の側にいるのか。

私は何処にいるのか、私は何処にいたのか。

この遊歩道を抜けた先にあるものは、老人としての枯葉の上。

枯葉の下には何億もの微生物が在り、私はそれを踏みつけてきたのだ。

もう戻れないであろう遊歩道の中には男の子が居た、男の子であったものも、女もいた。

私の目はそういったものを見て遊歩道を通り、通り過ぎ、私の目は通り過ぎていった微生物の上を。 振り返った先には遊歩道はある。

私がいない遊歩道だ、私がいた遊歩道だ。

枯葉の下には数億の微生物達が居て、私はそれらを踏みつけてここまできた。

枯葉を踏む音が聞こえる、誰かがまた此処に向かっているのだろう。 私。