―御鱈河岸―

おんたらかし

落日の栄光 敵性勢力現る〈夜闇を跋扈する四又の魔女〉

最悪の日とは最悪な朝から始まるものだ。

今朝方シャワーを浴び、バスタオルで体を拭き髪を乾かし、久しぶりに体重計に乗ってみたら、2キロ増加していた。最低だ。

心身の安定の為、体重の変化には気に掛けていたのだが…。ついこちらのケーキが美味しくて、食べ過ぎてしまう。自制せねば、菜食主義に戻すべきか?

その次は街へ出掛けようと、スニーカーを履いて歩き出したら紐が切れ、前のめりになりそのままこけ、顔を強く打ちつけた。額から血が流れたが、服の袖口で拭った。幸い今の私の髪は長いので、それを隠すのは造作も無い事だ。たまにはこの長く煩わしい髪も役立ってくれる。

そして私は街へ出掛け、集合予定時間より10分程早く、その場所に着いた。

羽を生やした2柱の女神の彫像が左右に鎮座し、互いの中央に有る大きな丸時計を押し合っている、針を見ると時刻は12時50分を示していた。

集合場所には既に竹林がいて、柱に体を預けスマホを弄っていた。

私に気付くと闊達な声で呼び、手を振っていた。

「水野上先輩」

「ごめんなさい、待たせちゃったかしら?」

「僕も今来たところです」

なんとも模範的解答をする男だな。それはさておき。

「まずはどこへ連れて行ってくれるの?」

竹林は頬を赤らめながら動揺した口調で、エスコートし始めた。

「前にラインでも話していた小説が映画化されていまして、それを今から見に行きましょう」

「あなたに付いていくわ」

それからその映画を見て、喫茶店で休憩し外へ出るともう夕方になっていた。

その日は沈む夕日がとても綺麗だった。空全体がオレンジ色に染まり、時期にしては早い日没時間な気がしていた。

そして辺りは急激に暗み始めた。まるで、ビデオの早送りでもしているかの様に。では誰が早送りをしているのだろう?黄昏を作り出しているのは誰彼(たそがれ)か?

竹林が何かに怯えながら話しかけて来た。

「急に暗くなりましたね。先輩、あそこのビルの屋上に奇妙な人影が見えるのですが、見えますか?」

指さす方向を見たが、かろうじで黒い点が見えるだけだった。もう一度目の焦点を合わせて見たが遠過ぎて私には視認出来なかった。

「どんな格好しているか分かる?」

「絵本とかに出てくる魔女の様な恰好していて、手には先端で4つに裂いた槍の様な物を持っています」

「その魔女何人居るの?」

「見る限りでは一人ですが…」

魔女が使い魔も出さず現れる…余程格闘に自信があるのだな。

しかし、魔女何て珍妙な輩、このご時世に現れるものか?

まぁ死者が神の力で蘇ったりするのだから、それも不思議な事では無いのかもしれんな。思えば、以前の私が死んだ日も、ワルプルギスの夜であった。ならばこいつらを呼び寄せてしまったのは私なのだろうか?そうだとするならば、私がこいつらを打ち破ってやらねばならぬ。

「竹林君、君。私の騎士(本音を言えば殉教者)になって呉れない?」

「えっどう言う事ですか?」

私はこの男の目を真っ直ぐに見つめ、穏やかな口調で願いを放った。

「〝わたしの盾となり、矛となり、禍のモノを打ち倒せ〟」

竹林の目は虚ろな物となり、次の瞬間恐ろしい速さで右往左往し、急に何事も無かったかの様に元の場所に戻り、彼は呟いた。

「承った」

いつかの私が、あの場所で〝神為るモノ〟に答えた言葉だ。

彼、否。私の若獅子は、臨戦態勢に入り、主人である私の次なる言葉を待ち望んでいる。

彼の上腕二頭筋と拳が通常の何倍にも膨れ上がり、次に活動を増幅する為に必要な部位が膨れ上がっていく。

私は声に力を込め、言い放つ。

「いけ」

言葉と共に、彼は跳躍して、途中の信号機で更に跳躍し、魔女が居るビルの屋上を目指し、ビルの窓へ壁を登り始めた。

屋上の黒点が動く。

しかし、魔女の儀式が始まるより先に彼の攻撃が到達した。

魔女が槍で必死に防御しようとするが、そんなモノお構い無しに、彼の拳撃や蹴りが放たれ、魔女は態勢を崩し、体の至る所で抉られた傷が出来上がり、そこから血が流れていく。

「偽神め、この様な者が居るなぞ一言も言ってなかったじゃないか、今回は早々に退かさせてもらおうぞ」

それだけ言って魔女は、閃光を放ち暗闇に消えた。

魔女が消えた事で、暗闇は徐々に薄れゆき、茜色の空が現れた。

周囲の状況が通常の物に戻り、彼も私の下へと戻り、姿も戻った。

彼が目を覚ました。

「先輩、僕は?」

「大活躍だったわ」

私は凄く満足だった。落日が素晴らしい程美しく見えた。

私は路上でへたり込んでいた。そして彼は、へたり込む私の膝の上に頭をやり、私と同じ様に疲労困憊でのびている。

そんな状態にやっと気が付いた彼だったが、短時間だが、極度の体力の消耗により、起き上がる事すらも叶わない、それでも何とか起き上がろうとするが、最早腕に、脚に力が入らなかった。

彼は申し訳なさそうに、そして恥ずかしそうに、

「すみません起き上がれ無いです」

「良いわよ。このままで」

「でも…」

夕方の通勤ラッシュ時という事もあり、私達は学生やら勤め人やらの好奇の目にさらされている。そんな物構う物か。

「夕日が綺麗ね」

「そうですね」

要らぬ言葉がよぎる、この国の明治の文豪が、「アイラブユー」とは何かと生徒に聞かれた時、「今宵の月は綺麗ですね」と横に居る女に言ったらしいが、こいつはその事を知っているのか?勿論私はそんなつもりで言ってなど無い。まぁ良い。こいつは一定の成果を上げてくれたのだから。

それにしても、魔女が居るなぞ聞いて居ない、あの神は要らぬ役者を配役してくれたものだ。なんだが眠くなって来た…

 

〝ゴッッ〟

「痛ったぁぁぁぁい」

「…先輩見かけよらず石頭ですね…」

今朝玄関で打ちつけた所を、またしても打ってしまった。

「おのれ魔女よ」

今日は最悪な日だ。