―御鱈河岸―

おんたらかし

硝子玉の世界  序説+1話

この世界は3本しか脚がない極めて不安定な造りのテイヴルであり、そのテイヴルの脚は常に貪欲な鼠どもの切歯によって齧られ続けて、もはや3本の脚の一本は崩落の一途を辿るのみである

けれどそのことは、あくまでテイヴルを主にした考え方であり、鼠どもの考え方で言えば。

この世界は食料が無尽蔵にある      とこしえの花薗のような穏やかで過ごしやすく居心地が良い場所だと残念ながら錯覚をしていた

 

テイヴルはまもなく支えを失って何処ぞへ転がり墜ちていくだろう。勿論、鼠たちも一蓮托生でありその結末は…

 

 

昔ある暇な代書屋が言っていた。

「俺のところにお客が来ないのは、俺の字が汚いからでなく周りが美男美女しかいなく手紙を送る必要がないからではないのだろうか?」

 

この暇な代書屋の教訓は、教訓が無いことが教訓であると云われている。

いつもいつも先人の言動に頼っても仕方ない、世の中は常に更新されているので自分たちで少しは考えないといけないこともある

 

そうこれからお話するある男の話も、彼がどうにかするしか先には進めず下手を打てば堂々巡りになる恐れすらある、そんな場合先人の言動など実際、消しゴム付鉛筆の消しゴムぐらいの役にしか立たない。

 

さぁ。お話が始まりますよ

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クラック!

 

 

 

四方を紺碧なる海に堅められ、内を獰惑なる杜で蔽われた八百万の神が住まうと謂われている摩訶不思議な国、日本。

この国には昼(ちゅう)鵺(や)、宙屋(ちゅうや)を問わず無作法に、魔蟇魍魎なモノが巣食っていた。

 

しかし、魔蟇魍魎なるモノ達は、時が移ろい人が移ろう度に姿を逓減するように惨めに哀れにときに担がれ変化していった。

つまり彼らにとって人間とは、何とも利己的で理解不能で変幻自在に自分たちのスタイルを変えれる不思議傲慢な本能の生き物であるようで、

そもそも、はじめに居たのは彼ら魔蟇なるものとその眷属であり、人間なんて生き物は彼らが〝浮きの眠り〟に就いている間に勝手に猿から変化し、いつのまにやらそこら中に繁茂していたのである。

それが今日では、この地上の覇者まで昇り詰められてしまったのだ。

 

そこで魔蟇なるものたちは考えた

如何にして彼ら人間の数を間引いていくかを…

 

 

 

第1 春香の時候

 

 

悲哀に満ち啾啾とした音色が耳元で、否。

耳の内側から聞こえてくる。

その音色には、色色な自然の音が十重二十重(とえはたえ)となっている。

中でも木の枝と枝が擦れあう音と、多量に敷き詰めあい重なりあった枯れ落ち葉が一斉に舞い上がる音が他の音よりも大きく聞こえてくる。

その中での音を拾い集めていくと、何やら奇妙な音が混じっていることに気が付く。

その音は、動物の鳴き声にしては鳴いていなく、どちらかといえば普段生活していてよく耳にするような音である。

かといって生活音かといえばそうではなく。

どちらかという、もっと頻繁に聞くような周波数の音のようである。

 

目を閉じ、両手を耳に当て耳を両手で畳み、音に集中してみると、その正体がジワリジワリと露わになっていくのが解る。

 

「……ッッッッッ…_>>ゥゥゥ……」

何やら、獣とかの声?とは少し違い…

 

「……ぉぅま……#####ぉぁ…」

先程より、より鮮明に聞こえてくるのがわかる。

もっとよく聞こうと思い耳を凝らしてみると…

 

「おまえは…わたしのぉこぁえが…きぃこぉえるのぉか…」

 

 

そう云われると同時に、目の前の光景が反転し、流転し、突然広く暗い山と、どんよりとした黒色に不自然なまでの朱い絵の具を不気味に混ぜたような空が現われた。

そこで彼、奥田正樹は気を取り戻した。

夢から醒めた彼は、両脇の汗と顔一面に溢れ出ていた汗を流すため洗面台へ向かった。

向かった先で彼は洗面所の様子が、どこかいつもと違う気がした。どこが違うのかといわれると形容しがたいが、何かがどこかおかしいのだ。

この違和感がとても気になりだした奥田は、眠気眼を擦りつつ辺りを見渡した。

すると、どこがおかしかったのかやっと気が付いた。

洗面所の見た目自体は何も変わっている様子はないが、どこからか雨の雑木林や森で発される、あの一種独特な鼻を刺す臭いががしてくるのが分かった。

気になりその臭いの発生元、つまり臭いがしてくる方を辿っていくとどうやら風呂場に行き当たった。

ついに臭いの発生源を突き止めた奥田は、風呂場のガラス扉を横に流し開け中へ入ろうとした。すると不思議なことに先程までしていた臭いが消えて去り、その代わり風呂場の洗い場に様様な、山の木木の枝から抜け落ちた無数の枯れ葉が堆積していた。

その枯れ葉を捨てようと、手を枯れ葉に向けると、

一瞬異様な光景が目に飛び込んだ。

不自然に排水溝の周りだけ枯れ葉が無いのである。

あたかも誰かが先にそこだけ掃除してくれたかの様に…

しかし、奥田は現在故郷の実家を離れ、瀬戸内海側にある地方都市の大学に通っていて、その大学の近所に安アパートを借りて独り暮らしをしているのだ。

だから、誰も部屋を掃除してくれる人など居ないはずなのだが?

暫く不思議そうに排水溝を見つめていると、排水溝がいつもよりも黒い気がした。

変哲なることだと思い、目を凝らしもっと近づいて見ると、

排水溝のなかから、〝ぶしゅぶしゅ〟と云う異様な音を立て合いながら這い上がってきている夥しい数の蟲と蟲と蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲

それらが蠢きながら今こちらへ、否。

奥田へ向かって流れ込もうとしている。

 

奥田は一刻も早くこの場から逃げ出そうと思い、枯れ葉を踏み払いながらガラス扉を開けようとした。

 

その刹那。

 

無数の枯れ葉の中から触手に近い形をした白磁の手が、重なり合い互いを千切り合いながら襲って来た。そしてその白磁の触手は奥田の手と足と首と両脇を掴み蠢き這わせ、枯れ葉の中へ引きずり込まれる形で奥田は墜ちていった……